2001年8月14日(火)〜19日(日)

天与の才にめぐまれた芳賀敏兼は、
茶人であり 花人 俳人であり又 歌人 義太夫 などの 片手にたりない号を持つ。そして画人としても多くの軌跡を残しています。鈴木正年のもとで学んだ日本画を基礎に
描いた、数多くの歌舞伎絵と文楽の首絵 そして、故人によせられた新派俳優、歌舞伎役者、映画俳優の寄せ書きサインなどを二会場にわけて展示、20世紀の日本の芸能をしのびました。




・第一会場 ギャラリー トノムラ

明治・大正・昭和にわたって関西劇壇にワンマンととして君臨した初代 中村鴈治郎演じる 上方和事の最高とされる紙屋治平衛をはじめ十五代市村羽左衛門の団七九郎兵衛、十一代片岡仁座衛門の猿回与次郎、
七代目松本幸四郎の武蔵坊弁慶、六代目尾上菊五郎のお軽などの歌舞伎絵や永遠の二
枚目スター長谷川和夫など十数点と、半生をかけて書き溜めた百二十点におよぶ文楽の首絵などの故人が描いた 役者絵・文楽の首絵を一同に展示 また 大正時代の芸能雑誌「劇と映画」「芝居とキネマ」昭和9年から12年に発行された演芸画報 合わせて34冊を手にとってごらんいただきました。

中村歌右衛門家

  金沢の医者の出だといわれ大阪で活躍した初世から4世までは立役を得意としたが、5世以降は女形の代名詞のような名優ばかりである。先日亡くなった6世は戦後歌舞伎を象徴する女形の名優であり長らく日本俳優協会会長を勤めた。4世を境に江戸に出た中村歌右衛門家と大阪に残った中村鴈治郎家に分かれる。"近松座"を主催する現3世中村鴈治郎は上方の名優坂田藤十郎の名跡を200年振りに継ぐことが先日発表された。 成駒屋、定紋は祇園守(中村歌右衛門)、イ菱(中村鴈治郎)。

・第二会場ワカオ ユキカズ ギャラリー

軸装された故人の作品と共に、故人によせられた 花柳章太郎、喜多村緑郎、河合武雄、

井上正夫など新派を代表する俳優に描かれた作品や
大正・昭和にかけて活躍した名歌舞伎役者・名俳優によるサインの寄せ書き・茶碗など十数点を展示


「松龍庵」 芳賀敏兼 本名 芳賀英二
1897年 明治30年 大阪生まれ
10代より 日本画家 鈴木松年 の門下にて 絵の基礎を学ぶ
1922年 25才 成美団(後に新派) 都築文男の門下に 俳優として入門
以後 しばらく 都築文男師とともに 満州国 慰問団として各地巡業に参加。(当時 藤山秋美・藤山寛美 親子も同行しており 親睦を深め たことにより 様々な文化人との交流が広がった)
1929年 昭和4年 喫茶「梨園」を 開業 ののち、高津8番町(現在の国立文楽劇場の裏手)にて料理旅館「梨園」を新たに開業する。 (おもに中座、歌舞伎座に出演する役者・俳優の定宿として親しまれていた)その家業の傍ら 歌舞伎絵を手がけ始める。
1939年 昭和14年 大阪難波 高島屋にて “第一回 芳賀敏兼 歌舞伎画展”開催
1941年 昭和16年 同 第二回 開催
1943年 昭和18年 同 第三回 開催 その後 戦争悪化の為 開催出来ず
1945年 昭和20年 「梨園」大阪大空襲にて焼失
1947年 昭和22年 「梨園」再建開業 (舞台のある大広間では、松竹現代劇に出演する俳優たちの稽古場として使われたり 時には文 楽が披露されることもあった)その後、神戸そごうや 旧文楽座にて 個展を再開するが 家業を優先することとなる
1972年 昭和47年 「梨園」閉館
1974年 昭和49年12月 78才にて永眠する。